野村謙二郎の引退と広島カープ

広島という街には2回しか行ったことがなくて、その2回とも仕事。原爆記念館と路面電車とお好み村界隈しか記憶にないんですけども。

そんなワタシですが、かれこれもう30年カープファン、いや、ワタシの世代でいうなら赤ヘルファンなのです。

東京生まれのワタシの周囲のオトナはとにかく「巨人大鵬玉子焼」だらけで、そのせいで小学校に上がるころはジャイアンツ帽を買い与えられても何の抵抗もなくかぶっていました。

そんな子供が他球団に目が向いたのは今年(註:2005年シーズン)プレーオフで盛り上がる(千葉)ロッテ。当時のロッテオリオンズがシーズン前期優勝した昭和49年、ワタシの育った街にはロッテのガム工場があって(今でも山手線の窓から見られるあの辺)、その繋がりなのかマクドナルドはなかったけどロッテリアがその頃からありました
普段駄菓子屋に出入りするハナタレ小学生にとってロッテリアは行くだけでも十分ご馳走で、滅多にいける場所じゃなかったわけですが、優勝記念でムチャクチャ安くなってると聞き、少ない小遣い握り締めて同級生と大挙して行列に並んだわけです。たぶんこれがきっかけで巨人以外の球団を意識するようになったんだと。

クイモノにつられて、巨人を離れた。のかな、

や、ちがう。

その前から、「巨人ファンでなければ人間じゃない」的な周囲の空気に疑問を感じてた気がします。
「他に野球チームはないのか」と。
「違うチームが好きでもいいんじゃないか」と。

で、きっぱり意識を持って巨人以外に目を向けさせてくれたのが、たぶんこのロッテリア、じゃなくてカネヤン時代のこの年のロッテなんだと思います。

で、翌年、巨人は長島新監督体制で球団史上初の最下位。
大人たちは文句ばっかりですわ、彼等があれだけ憧れてたナガシマさんをケチョンケチョンで、そんな姿を横目に関わらないようにしてたわけですけども。シーズン終盤を迎えたある日に近所の巨人ファンのおじさんから後楽園の外野席の券を4枚貰ったので、親に特別に貰った500円札を1枚握りめて同級生と行ったわけです。

広島の優勝試合でした。

そりゃ、チケットくれるわなおじさん。
セリーグのお荷物とまで言われたチームが巨人に勝って優勝を決めるかもしれない試合なんて行きたかないもんね。

ライトスタンドにいたんですけど、初めて見に行った野球の試合で胴上げ見ちゃった小学3年生は感動しちゃったんでしょうねえ。

翌年から赤ヘルファンです。すっかり。
中学出るまでは後楽園と神宮の試合で月1、2回レフトスタンドに行ってました。開場と同時に球場入り、友人の彼女に貰った別冊マーガレットをビリビリに破いて紙吹雪をつくりながら試合を待ちました、高校に入ってからはビールの小瓶が並んだ木枠のケースをぶら下げ、指の間に五百円札を縦に折ったやつをたくさん差し込んで後楽園のスタンドをうろついたり、神宮のうどんやでバイトした時、ベンチ裏にうどんの出前をして今は亡き福士投手にCARP印の入ったボールを貰ったりしてました。

球場ではいつもレフトスタンド。ライトル、ギャレット、衣笠、水谷、そして山本浩二、200発打線はボンボンホームラン打ってくれたから、負けても楽しかった。でも一番好きだったのはヨシヒコでした。一番ショート高橋(慶)。後楽園と神宮の1回表はヨシヒコから始まります。足が速くてスイッチヒッター、連続試合安打記録保持者、憧れましたね。華もあって、衣笠、浩二に負けないスターでした。

そのヨシヒコの後に一番に座ったのが駒大卒で広島入りした野村謙二郎でした。ワタシと同い年。社会に出たのも同期です。丙午の1966年生まれは出生数が少ない事もあって人材不足で、甲子園でも翌年の67年生まれの桑田、清原、田中幸雄たちのほうに人材が集まっていました。そんなわけでヨシヒコほど華はなかったけど、17年間カープにとどまって仕事をした謙二郎には思い入れもひとしおなわけです。

この17年間でプロ野球は随分変わったと思います。カープもせっかく育てた江藤が巨人にFA、金本も阪神にFAで放出、このころからワタシ自身もプロ野球がつまんなくなって全く見なくなってしまいました。

それでも今シーズンは、その野村謙二郎が6月に2000本安打を達成したり、ロッテが強かったりで、久しぶりにプロ野球がちょっと楽しいな、と思ったわけです。

そして、野村謙二郎の引退試合。

michiyoさんのブログ、
Three Out Change ! 写真とたわごと: ありがとう、カープ野村選手
を読んで涙が出ました。

セレモニーで、野村謙二郎は、

「こんなにたくさんお客さんが入ってくれると楽しくないですか、みなさん。」
「今日集まっている子供たち、野球はいいもんだぞ! 野球は楽しいぞ!」

と客席に向かって語りかけたそうです。

あとでワタシはこれをニュースで見たわけですが、その姿を見てしばらくじーんとなってしまったのでした。
つまんないから、と、カープからも遠ざかっていた自分に、そこにいつづけて、年々空いてくる客席の前でプレーを続けてきた野村謙二郎

彼の言葉は、身にしみました。

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来年はカープに気持ちを戻してみます。
ひよっとしたら広島にないかもしれませんが、
市民球場にもいないかもしれませんが、
来年一年間、見つめてみようかと思います。
来シーズンカープがカープであっていて欲しいものです。

野村謙二郎の引退と広島カープ」への21件のフィードバック

  1. ピンバック: mayu*channel
  2. ピンバック: 花よりカープ
  3. 福士の息子です。父親を覚えていてくれてありがとうございますm(_ _)m

  4. 今頃コメントすることをお許しください。父は栄光を掴むことは出来ませんでした。息子が見てもそう感じています。ただ、韓国で記録した30という勝ち星はDH制のもと一人で達成する事は不可能でした。プロ野球とは何たるかを体を張って示したと誇りを持って投げてました。見た目損してましたし、人気あったかわかりませんが…

    ただ色んな方々がブログ等に書いてもらって嬉しかったです。

    長文で失礼しました。

    どうもありがとうございました

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