オレンジのヒコーキは沖縄の空に帰ってくるのか(おまけつき)

いつ入り込んだのかわからないけど、自分の中にいつまでもある残像みたいなものってないですか。

人だったり、音楽だったり、文章だったり。
ワタシ的にはネーミングとデザインっていうのがけっこう残っちゃうんですけども。南西航空がまさにソレです。

離島を渡るオレンジのジェット機の姿に涙 | nanseiblog.com

社会科見学で行った成田以前の羽田空港で世界中からやって来たでっかいヒコーキがうじゃうじゃしてる中を、ちっちゃいオレンジ色のヒコーキが飛び立っていく姿がかなり残像になってるようです。あのデザインには「沖縄」をイメージさせるだけの力があったと思います。
 

あ、南西航空だ!沖縄に行くんだ!って直感できちゃう。そんなデザインでした。
 

沖縄では、残念な結果に終ったレキオス航空とか、去年JALが大変な事になってからTVとかでけっこう目にする沖縄選出の議員さんが時の国土交通省の副大臣さんにJTAを沖縄の手に!と直接お願い(⇒PDF)したりとか、「沖縄の翼は沖縄の手で」という思いは常に根強くあるようです。

 
んで、本題。
 

そんな南西航空を何で今ネタにするかというと。こんな記事があったからです。
南西航空の再生 ― 樋口耕太郎 : アゴラ
 

書いてる人は沖縄で新しい発想でリゾートとかの観光開発を手がけてる人です。
 

今は他の国の空港に流れちゃってるヒコーキで東アジアを旅する人たちを、JTAが沖縄だけでなくて近隣の国に足を伸ばしてどんどん集めて、那覇で乗り継ぎさせて日本各地に運べば、日本の観光政策のためになるよ。人がいっぱいくるから沖縄のためにもなるさあ。そのためにはJALからJTAを切り離して沖縄の人たちが経営すればいいはず!

 
 
という内容だと思うんですけど。それはひとつのお説ということで。

じゃあ「南西航空」のネーミングを持ち出す動機はどこ?っていうところがいまいち見えてこず、連休をはさんで今の今まで気になりつづけていたのでした。おそらく、この記事でいう「新しいJTA」の姿にかつての「沖縄の空を飛んでいたオレンジのヒコーキ」というあの頃を知る世代が持っている残像にイメージを重ねることで読み手への訴求力を高めようとしたのかなと。

姿を消して20年も経つのにあのオレンジのヒコーキのデザインと直球のネーミングは、沖縄のヒコーキっていう残像を呼び戻させるんだろうなあ、と。

ネーミングとデザインで多くの人により強い印象を与えるお手本みたいな。航空会社ってその国とか地域の「お国柄」を印象づける役割があるから、見た人、乗った人に沖縄だなあ、と思わせてくれる事は重要じゃないかと。
 

ともかくワタシ個人的には、企業の形はどうあれ社名とヒコーキのデザインだけ復活してほしいところです。
 
 
 
(おまけ)
ちなみにこのブログのデザインもそんな南西航空の印象を前に出してたんですね。いつかはそこから離れようとしながら行ったり来たりしてる。バナー見るとよく見えます。

秘蔵!南西ブログ以前のバナー(2003年)
2003年の夏頃、南西以前

南西ブログヘッドバナー(たぶん2003年ころ)
2003秋〜2004年ころじゃないかと

2005年頃の南西ブログのヘッドバナー
ほんで2005年頃

2006年頃のバナー
2005年末頃にはイメージ薄めはじめてるし

2006年頃離れた

2007年ごろ
2007年WPにした頃、ちょっと戻ってる

2008年
2008年

石垣島の南西交通のタクシーのデザインを思い浮かべて、これと同じのをこのブログに持ってこよう。みたいな思いつきだけでアジクーターブログから名前変えたのが始まりだったことを思い出します。

だんだん南西っていう看板が重く感じはじめたりして。
随分でっかい看板背負っちゃったのかな、なんてね。

それくらいネーミングとデザインの結びつきっていうのはしにでーじってことですね。

考えさせられますね。