月刊カープファン増刊「赤ヘルなんでも大百科」(昭和58年 ㈱カープファン発行)

ミムさんの一打を忘れない

杜の都で亡くなった赤ヘル黄金時代の2番バッター三村敏之。ワタシには忘れられない彼の一打があります。

はじめに、このエントリーの画像はすべて以下の文献より引用しております。

月刊カープファン増刊「赤ヘルなんでも大百科」(昭和58年 ㈱カープファン発行)
あの時買うのにかなり葛藤したけど26年後にこうやって役に立つとはなあ。

 
で、本題。
 

最後は楽天のチーム統括本部編成部部長という職にいて野村克也の後の監督をという話もあったようですね。ワタシが赤ヘルファンになった昭和50年頃が選手として全盛で、引退後二軍監督時代に今主力で活躍する選手たちを育て、一軍の監督となった人です。

どこで身に付いたかわかりませんが、ワタシは彼がミムさんと呼ばれているのを知ってからずっとその愛称を使っていました。キヌガサ、コージ、ヨシヒコ、と主力は呼び捨てだったのに、その紳士的な存在感から唯一さんづけで呼ばれていたのかもしれません。

ミムさんといえば、印象深いのはこの試合、
巨人広島(後楽園)昭和57年9月25日
優勝争いからは離れてたけど、相手は優勝争い最中の巨人、相手が大の苦手定岡ってだけで勝てる気がしなかった上に、初回に新人津田が4点取られちゃったほぼ負けペースの試合で、勝ち越しのランナー抱えた場面で不調の衣笠の代打で出てきたミムさんが打った勝ち越し2塁打は、そのシーズンの在京カープファンの鬱積を晴らす一打でした。

あの年、ワタシは後楽園でビール売りのバイトしてたんですけど、なぜかこの日は家にいました。TBSラジオで渡辺謙太郎(だったはず)の「そうしゃいっそうー!かちこし、かちこしー!」という名調子にあわせて「やたー!」と叫びつつ拍手して飛び上がった記憶があります。

ラジオ聞きながらドキドキしたってなんか懐かしいなあ。
全力でカープ応援してたんすねえ。

ちなみにこの試合、先発津田に中継ぎに川口、大野、福士、抑えがこの年20勝した北別府、っていうオールスター状態。ほんで勝ちがついたのは左の中継ぎ職人山本和男、っていうカープファンにはたまらない内容でした。

この年までのミムさんの成績、
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翌年数試合に出て引退してるから、ほぼ生涯成績ですね。この時35歳、今のワタシよりずっと若いのに「いぶし銀」とか呼ばれてたなあ。

CA390134
とうとうあの頃のスターの光が一つ消えてしまいました。

ミムさん、安らかに。
ご冥福をお祈りします。
 

ミムさんの一打を忘れない」への1件のフィードバック

  1. あんましありませんが、ついつい思いだしてしまいました。
    史上初の日本シリーズ第八戦までもつれ込んだ1986年の日本シリーズ。
    某ライオンズファンとしては歓喜のシリーズとなりましたが、
    相手はそういえば広島だったんですよねぇ・・・。

    工藤ちゃんのサヨナラヒットは今も語り草です。
    ~来シーズンは古巣復帰して、菊池雄星を育てる?

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